Interview永住権取得者インタビュー

【リブインケアギバーで永住権取得!】暖かなご家族のサポートでご苦難を乗り越え、 無事永住権取得です!!

 

移民カテゴリー リブインケアギバーによる移民申請
お名前 Masako様
永住権申請から取得までの期間 約9ヶ月
職種 Caregiver
申請者のコメント 最初に前置きしておきたいと思います。
私の事例はあくまでも異例ですので、一例として読んでいただきたいと思います。

 

カナダに留学するきっかけとなったのはどんなことでしたか?

私の専攻は幼児教育・福祉関係なのですが、短大の時に、教授のお兄様がトロント大学で教授をされていた都合で、夏休みに限定人数で2週間のデイケア・福祉施設見学等の機会をいただきました。カナダの教育は、まさに私が育った幼少時代そのもので、現代の教育内容とはまったく違い、とにかく幼少時代を尊重するものでした。私は伊豆と関東の育ちなのですが、私の通っていた幼稚園・小学校では毎日どろんこになって、たくさんの自然を活かした、実に思い出のたくさん残る楽しい幼少時代を過ごしました。日本特有の「あれ駄目、これ駄目!」というのではなく、最低限のしつけで子供らしい時代を過ごさせてもらいました。

 

丁度トロントへ行った頃は、就職活動にも力を入れないとならない時期が近づいており、しかし、現地の子育てスタイルにドキモを抜かれ、私の理想そのままだったこともあり、実に就職に失望させられた瞬間でもありました。日本の教育に不平不満を言うつもりはありませんが、私の理想とするものではなかったのです。当たり前のように就職もほぼ決まっていたところを、教授に頭を下げてまで断ったほどです。そして、まったく関係のない職業に就き、6年ほど過ぎていきました。留学の気持ちも段々と夢のようになり遠のいていた時に、たまたまバンクーバーへ帰国したカナダ人の友人より「ネットの教師紹介の欄に載ったから、見てみて!」とメールがきたのですが、それがまず、ビザJPカナダと繋がった始まりとなりました。

 

Jazzercise

そこから沸々とカナダへ行きたかった自分を思い出し、なんとなく学校を調べ始めたのです。まず、漠然と英語を鍛える=語学留学、では精々限界が3~4ヶ月です。私はそのとき26歳でした。仕事を辞めるのは30歳、それまでにお金を貯める、というビジョンを立て、その後はどうするのかを考えました。そこで幼児教育の専攻をいよいよ活かすときだと考え、ビザJPカナダのグループ会社であるJPカナダ留学センターと連絡を取るようになり、1000万のお金を貯め、31歳のときに学生ビザでバンクーバーへ来ることになりました。バンクーバーにした理由は、車を持たない、という条件を考えると、交通の便がとても便利である、気候も都心に似ている(地元は神奈川県小田原市)、東側の-30度はどうしても嫌!ということで決めました。

 

始めは、語学をもっと強めるためにESL、それからTOEIC、TESOL、そして小学校英語指導者資格(J-shine)も勉強しました。そしてECE(Early Child Educator保育士)を、日本の免許を移行しないで、取り直しました。実に内容の濃い、満足な学生生活を得たと思います。小学校英語指導者資格(J-shine)とECE(Early Child Educator保育士)とは、勉強内容はまったく違うので、どちらもお勧めです!

 

学校卒業後はどのように過ごしましたか?

Averys Salon

その時点では移民(永住権)にまだ興味はありませんでした。今思うと、これといった強い思いを説明するところまで心の準備ができていなかったのだと思います。

 

その後、ECE(保育士)として就職をしました。デイケア(保育園)です。そこから、私の思考はどんどん確かなものへと成長し始めました。もっとここで子供たちと向きあっていきたい、ここでは私の理想とする幼児教育ができる、そういった想いです。そこで、カナダに残る方法を、当時まだ立ち上がったばかりのビザJPカナダに相談することを、JPカナダ留学センターより勧められました。

 

その後、ビザ申請で苦労はありましたか?

私は年齢の問題もありましたので(既に33歳)、ワークビザの取得をどうするかでした。当時、リブイン・ナニーとしてプログラムを完了し、移民を申請するという方法が一番望ましかったので、それで進めていきました。

 

しかし、ここからが私の波乱万丈のカナダ人生の幕開けでした。まず、ビザを国境に取りに行ったとき、携帯の思わぬメッセージを「誤解」され、尋問に約1時間も付き合わされたことがあまりよいスタートではありませんでした。その年、信用していた雇用主のまさかの飲酒運転により(当人はうまく隠し通していた)、当然本人は職を失い、たった7ヶ月にて私の就職期間は終わってしまったのです。(私を雇うお金がなくなった)

 

このときに、私のECE免許でさえも巻き込まれ、Ministry(免許管理をする本部)より捜査が終了するまでホールドをされてしまいました。もちろん私は無実でしたが、電話での事情聴取(本当に知らなかったのか)を余儀なくされました。電話はいつかかってくるのかわかりませんでしたが、1月に宣告されてから8月にかかってくるまでの間は携帯電話音が恐怖でしかありませんでした。その後、携帯電話音に対する恐怖心、警察が家を訪ねてきたときのサーチライトがベースメント(地下部屋)の窓から差込む様子、パトカーで病院へ付き添わなくてはならなかった等のおまけ付の体験のおかげでPTSDもつきまといました。

 

捜査が終了するまでは約1年少しかかりました。その間、もちろん免許は使えません。ですので再就職先を見つけるのも絶望的でしたが、友達の就職先関係を巡り、デイケアにてなんとかビザの協力をしてもらえることになりました。実はこのとき、私はお金がありませんでしたので、ビザJPカナダに全てをお願いすることができなかったのです。それでも、相談に応じてくださり、アドバイスをくださり、なんとか自分で書類を作り上げました。

 

そして事件から1年後、また働くことになるのですが、ここでも今度はLMOに沿った労働条件をさせてもらえず、当然移民申請などできるはずもなく、就職期間も11ヶ月で終わることとなります。さすがに、もう帰国を考えなくてはならず、11月で失効となるビザを思いながら子供のお迎えを待っていたある初夏の終わり、その子の母親から意外な一言をもらいました。

 

「あなた、ビザが切れたらどうするつもりなの?

実はね、ナニーを探そうと思うんだけれど、興味ある?」

 

保育士としての就職のみを考えていたけれど、ケアギバーにここで転向したのですね?

はい。まさに、目から鱗でした。一瞬にして希望の光が差し、あ、もしかしたら私、カナダにいることができるかも・・・。と、どきどき胸が躍り始めたのを今でも忘れません。

 

そこで、以前からお世話になっていたビザJPカナダに改めて連絡を取りました。今回はひとつのミスも許されないので、ビザJPカナダに全てお願いしました。これで3度目にもかかわらず、担当コンサルタントの山下さんは、丁寧に書類手続きの準備をしていただきました。

Ambleside Park

書類手続きも、たくさんのドラマが実はありました。ややこしい書類、幾ら専門家に手伝ってもらっているとはいえ、初心者である雇用主にとってはややこしいのは確かです。しかし、山下さんは、私と雇用主の間へ入ってくださり、なんとか当人のストレスを回避すべくお力を貸してくださり、無事にビザの取得まで勧めることができたのです。

 

最高の、とても信用のできる、今では家族と言えるこのファミリーと出会い(子供は3人姉弟妹です)、労働時間も前回のと足してクリアし、とうとう移民の申請を、という日が近づいてきました。

 

心を躍らせながら山下さんと連絡を取ると、思わぬ現実があったのです。当時の首相が移民にあまり心を開いてないことで、労働ビザには4年という枠組みができていました。私はなんと、その枠組みから労働時間達成日(22ヶ月労働3900時間)がたったの5日間だけ外れてしまう計算となってしまったのです。もう絶望しかありませんでした。どうにもできません。決まりは決まりです。でも、私が諦めずに頑張ってきた、踏ん張ってきたこの5年間はなんだったのでしょうか・・・本当に吐きそうでした。このとき、別案としては、現雇用主の元で22ヶ月労働を達成するという案。ゼロからのスタート。すると更に働かなければならないということ、と共にでてきた問題としては、雇用主があと半年で職場復帰をすることとなり、私は継続してフルタイムでは働けないということ。

 

とうとう日本へ帰らなくてはならないのか・・・

 

私の家族は皆でずっと応援してきてくれました。将来、甥っ子も海外へ出られるチャンスを作ってあげられる、それもなくなってしまいます。そのときに、私よりも怒りを露わにしたのは雇用主でした。

 

どうして貴女がそんな馬鹿みたいな損をしなくてはならないの???

ここで本当は申請条件を達成しているはずなのに、どうしてよ???

カナダに住むのは夢だったんでしょ?諦めるの?ぶつからなきゃ駄目よ!!!

 

と、とんでもなく怒りくるってくれたのです。彼女は私の過去の2人の雇用主によって移民申請を諦めざるをえなかった過去を知っているので、ある日、移民を斡旋しているノースバンクーバーのある政治家に相談に行ってくれたのです。初めの就労時間を活かして移民申請すること。ゼロからやり直す必要のないように・・・。そこでも私の話に心を動かしてもらえ、CICに向けて手紙を書いてくれました。山下さんもやってみる価値はある、ということで、この5日間を奇跡に変えるべく、移民申請をすることに動き始めました。

 

Lynn Canyon Park

4月中旬、いよいよ書類が全て整い、移民申請を提出しました。ここからも、なんともいえないストレスな日々スタートです。しかし想いは通じ、私の申請書は無事に受理してもらえたのです。過去とは違い、今では書類の処理が早くなっているので、なんと、夏までには受理番号と更にオープンワークビザが届きました。それから、12月には1月3日のインタビュー通知がきました。申請から約9ヶ月で移民を取ることができました。来加してから10年目です。

 

大変なご苦労があったのですね。今周りの方にどんな思いがありますか?

Family

私には、ここにたくさんの心からサポートしてくれる家族的な友人たちがいます。時に、食事まで恵んでくれたり、遊びに連れ出してくれたり、励ましてくれたり、色々と助けていただきました。だからどんなときも乗り越えていくことができました。ノースバンクーバーでは、保護者同士でも私の存在は知られているので、口コミでも個人的に仕事の依頼を受けています。とても感謝です。お蔭様で現在は、スポーツインストラクターの免許も活かし、幼児教育とともにフルにエネルギーを注いで生活をしています。

 

永住権を目指している方にアドバイス等はありますか?

私は過去の雇用主に対して過剰に自信がありました。私がしっかりとサポートしてしっかりしていれば大丈夫、という心です。馬鹿だとは思いましたが、それくらいしっかりとしている自信があったのです。しかし、それは本当に間違っていました。自分と歯車が合っていない人達からは、必ずしっぺ返しがくるということ。結局、何らかの形で巻添えを食らうことになるのです。自分ひとりでは解決していくのは不可能です。必ず、心から信用できる雇用主様と出会ってください。少しでも不安があったときはきっと違うのです。

 

私は、ビザJPカナダに質疑応答を含め、とても細かく丁寧に助けていただきました。一方的にお任せするのではなく、自分自身も、今どこでどの状況なのか、疑問に思う点は何かなど、お話をとにかくたくさんさせていただきました。担当してくださった山下さんは、面倒がらずに、きちんとお答えしてくれました。長い結果を待たなくてはならなくても、状況説明をきちんとしてくださったおかげで、もう少し我慢して待ってみようと乗越えられました。ですので、本当に感謝しています。

 

自分自身で大切なことは、目的と情熱が明確に強い意志で固められていること。トラブルや思わぬ方向へ進んでも、ぶれないで踏ん張る力が湧いてきます。もちろん、漠然と海外に住みたい!カナダに住みたい!でもよいです。しかし、私はどうしてここに残りたいのか、どうして日本ではダメなのか、何をここでやりたいのか、それと毎回じっくりと向き合い、自分を励まし、ここで折れてたまるか、と精神をたたきながら乗り越えてきました。私を大馬鹿野郎だと思った方はたくさんいらっしゃると思いますが、私はこの過去に、人との絆を深める、そして新たな出会いの意味など全てにプロセスがあったのだと、決して損した過去であるとは思ってはいません。逆に、感謝すらあります。今では日本の地元と同様に、人間関係にとても恵まれています。

 

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これを読んでくれたどなたかがもし挫けそうになったときに、こんな人もいたな、と思い出していただけましたら、まずはビザJPカナダへご相談をしてみてください。読んでいただきまして有難うございました。

 

ビザJPカナダなしではここまでこれませんでした。ビザJPカナダの皆さん、山下さん、本当に長い間お世話になり、心より感謝しています。有難うございました。

【夢を追いかけ、一路カナダへ!】『永住権申請中に失業…』という困難にも負けず、無事永住権取得!!

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移民カテゴリー CEC(カナディアン・エクスペリエンス・クラス)
お名前 KI様
永住権申請から取得までの期間 約10ヶ月
職種 CG Modeler
申請者のコメント 移民申請の仕組みはおそらくみなさんが思っている以上に複雑だと思います。
少しでも不安要素を潰して、より確かのものにするためにも、ビザJPカナダさんに駆け込むことを絶対にオススメします!

 

なぜカナダの永住権取得を目指ざそうと思われたのですか?

まだ達成できていませんが、ハリウッド映画の制作にCGアーティストとして携わることを目標にしてカナダに来ることを決意しました。ハリウッド映画といえばアメリカのイメージが強いですが、バンクーバーはアメリカと同じくらい、もしくはそれ以上に映画、テレビドラマ制作が盛んに行われていて、また世界的に見ても暮らしやすくて有名な都市ということを知っていたのでこちらを選択しました。
日本を出る前は永住への興味はぼんやりしたものでしたが、実際に留学、就職を経験して、カナダという国をより一層気に入ったので、永住権申請の決意を固めました。

弊社を知っていただいた、またはご依頼を決めて頂いた経緯は?

初めは学生ビザを所得してトロントで六ヶ月語学留学をし、その後バンクーバーに移って1年間専門留学しました。卒業後ワーホリを取得しCGスタジオに就職して、その会社からLMIAを申請して頂き、一年間の就労ビザを取得しました。ワーホリが終了した時点で、申請条件である就労経験一年を満たしたので本格的に移民申請に向かって動こうとしたのですが、自分一人では何を揃えたらいいか、どういう選択肢があるのか調べきれず、留学時の学校の手続きでお世話になったJpcanadaさんからの流れでビザJPカナダさんに駆け込みました。

永住権取得へ向けて、具体的にはどのような過程がありましたか?

自分一人では絶対に分からなかったことをすごく分かりやすく教えていただいたので、揃えなければならない書類も迅速に入手し申請することができました。しかしワークパーミットが切れる直前、突然レイオフ(リストラ)を言い渡されてしまい、申請は完了していましたが永住権を取得することができるかすごく心配になって、自分としては気が気でない状態が約半年間続きました。今はテレビアニメのスタジオで働いていますが、その仕事が決まる直前に、移民局から移民許可を受け取って、国境に提出し無事に移民になることができました。

その過程で一番ご苦労された点は?または一番印象に残っている点は?

先程も言った通り、ワーホリとLMIAで約2年勤めた会社をレイオフされた状態で無事に永住権を獲得できるかどうか不安で仕方がない状態になりました。
その会社がスポンサーになっていたワークパーミットを失ったわけですが、そんなときでもビザJPカナダさんが冷静に対応してくださって、移民許可が降りるまでの繋ぎでもあるブリッジオープンワークパーミットを取ることができました。

今後の目標は?

目の前の仕事を頑張りながら実力をつけて、ハリウッド映画の制作に参加することで、自分の名前をエンドクレジットに載せることです。
決して簡単なことではないですが、昔からの夢でもあるし、永住権を取れたことで可能性がより広がったと思うので、どれだけ時間がかかろうが、その目標に向かっていきたいと思います。
もう一つ、自分なりに感じたカナダという国をビデオにしてYouTubeに発信することで、渡航するかどうか迷っている日本の方の背中を押していきたいと思っています。普通にここでの生活を喋るだけではありきたりなので、素っ頓狂かもしれないですが、自分の趣味で且つ北米だからこそできる実弾射撃を絡めて発信できたらいいなと思っています。そのために銃の免許を取る準備を進めています。

今後カナダ永住を目指す方に向けてのメッセージをお願いします。

移民申請の仕組みはおそらくみなさんが思っている以上に複雑だと思います。その上ちょっとでも書類関係で不備や記入漏れがあったりすると却下されて断念した人も何人か知っています。確かに移民申請は自分だけでもしようと思えばできることですが、少しでも不安要素を潰して、より確かのものにするためにも、ビザJPカナダさんに駆け込むことを絶対にオススメします!自分にとってベストな選択肢を提案していただいて導いてくれたからこそ、永住権を獲得できた今の自分があると思っています。

【保育士で永住権獲得!】永住の計画から、学校紹介、代理申請フルコースでサポート

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移民カテゴリー CEC(カナディアン・エクスペリエンス・クラス)
お名前 MH様
永住権申請から取得までの期間 約21か月
職種 Early Childhood Educator
申請者のコメント バンクーバーに初めて来たのが、2008年の夏でした。1ヶ月の滞在で、いつか長期で留学したい!と思っていました。そして2011年にやっと戻ってこれました。そこから、5年が過ぎ、6年目でやっと移民がとれました。長かったけど、いろんな人の支えや助けがあり、諦めずにここまでこれたので、やっぱり、諦めずに思い続けて頑張ったら叶うんだな!て思いました。なので、ぜひ、諦めずに移民申請頑張ってほしいです。

 

なぜカナダの永住権取得を目指ざそうと思われたのですか?

永住権を目指した最初の理由は、当初は1年の留学予定で、帰国後は英語の教師になる予定でしたが、バンクーバーにもう少し長くいれたらいいなあ。と思い始めました。当時、幼稚園でボランティアをして、カナダでの保育士の仕事に興味を持ちました。そのことをJPのカウンセラーさんに伝えたら、ポスグラを取れる学校行って1年フルタイムで働いたら移民申請できるよ!カナダに居られる方法があるよ!と言われたのが移民を意識し始めたキッカケです。

弊社を知っていただいた、またはご依頼を決めて頂いた経緯は?

元々JPカナダ留学センターを使っていて、当時のカウンセラーさんがポスグラを申請する際にビザJPカナダを紹介してくれました。ポスグラ申請は自分でも申請できるって聞いていましたが、ビザ関係は慎重にしたかったので、ビザJPカナダさんにお願いしました。

永住権取得へ向けて、具体的にはどのような過程がありましたか?

まずは、資格を取ってから1年働かないといけなかったので、就活しました。ポスグラを4月に取って7月からフルタイムでのお仕事が見つかりました。3ヶ月のブランクがあったので、ポスグラ後にワーホリを申請しました。(ワーホリもビザJPカナダさんにお願いしました。)それから無事1年働いたので、山下さんに相談させてもらいました。その際とりあえずIELTSが必要だということだったので、IELTSの勉強を始め試験を受け点数も無事クリアしました。すでにそれ以外の申請書類は揃えてくださっていたのでIELTSがクリアしてすぐに申請書類を送ってくれました。
私の場合、学生→ポスグラ→ワーホリ→ブリッジオープン×2と申請してビザを繋げていぎした。2回目のブリッジオープンワークパーミットを申請した直後にPRが取れました笑 全て山下さんに、お願いして無事に全てビザ取得できました。
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その過程で一番ご苦労された点は?(または一番印象に残っている点は?

1番印象に残っている所は、山下さんに、CECの一次審査が通った時に、私の直後に提出した方たちは、人数上限8000のmaxに達したため申請が返却になっております。M様の強運は本当に素晴らしいです!て言われて本当にギリギリで、申請方法が変わる前に移民申請が間に合ったことです。苦労したというか、私が、申請してからすぐ申請方法が変わったのですが、その影響でPRが取れるまでに2年弱かかりました。なので、私の書類忘れられてるのかなーと少し不安に思ったくらいです。

弊社をご利用されて良かったと思われる点はどのようなポイントですか?

山下さんが担当してくれ、お仕事がとっても早く、パパッと申請してくれたり、Eメールのお返事もすぐ帰ってきてとても安心したところです。IELTSの結果や健康診断のレシートを持って行ったらその日にやってくれて、私はもう頼りっきりでした。信頼でき、とても安心して移民申請をお願いできました。2013年から長い間本当にお世話になりました。本当に本当にありがとうございました。感謝の一言につきます。

今後カナダ永住を目指す方に向けてのメッセージをお願いします。

バンクーバーに初めて来たのが、2008年の夏でした。1ヶ月の滞在で、いつか長期で留学したい!と思っていました。そして2011年に戻ってこれました。そこから、5年が過ぎ、6年目でやっと移民がとれました。長かったけど、いろんな人の支えや助けがあり、諦めずに来れたので、やっぱり、諦めずに思い続けて頑張ったら叶うんだな!て思いました。なので、ぜひ、諦めずに移民申請頑張ってほしいです。
今後のカナダでの目標は、子どもと関わっていけるお仕事にこれからも携わっていきたいので、ステップアップのために色々落ち着いたら学校へ戻れたらいいなと思ってます。

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永住権取得の他にもうひとつ、お祝い事が待っているのですね?

年末彼と結婚しますっ!笑

運も味方に!カフェでの就労から永住権取得!

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移民カテゴリー BCPNP ELSS
お名前 Ayumi様
永住権申請から取得までの期間 約2年7か月
職種 フードカウンターアテンダント
申請者のコメント 移民申請を決めたのがビザが切れるギリギリだった上に、永住権申請中ワークビザを出してもらっていたカフェが倒産、帰国、そして結婚と、かなりの難関があった私ですが、「自分の運を信じます」と言い続け、本当に永住権を取得することができました!自分を信じることが大事なのかなと思います。

 

なぜカナダの永住権取得を目指したのですか?

働いていたカフェに移民を目指している女の子が入ってきて、お互いの話をしていた際に「もしかしてPNPで移民申請できるんじゃないですか」と言われたのがきっかけで調べました。正直なところ、ちょっと滞在を延ばすくらいの気持ちで挑戦してみました。申請を決めたときはワーホリのビザが切れる1ヶ月前でした。

 

弊社を知っていただいた、またはご依頼を決めて頂いた経緯を教えてください。

もともとワーホリでバンクーバーに来た際にJpcanadaさんを利用させて頂いていたのと、そのカフェの同僚にも教えて頂き、相談させて頂きました。

 

永住権取得へ向けて、具体的にはどのような過程がありましたか?

IELTS受験、書類集め、ワークビザ獲得、健康診断を受けました。私の場合は移民申請中に現在の主人に出会い、申請途中で結婚しましたので、さらに主人の書類の提出、健康診断も求められました。もし代理申請をお願いしていなかったら、結婚した後どうしたらいいか全くわからなかったと思います。私の最初の健康診断から時間がたってしまったので、2回目の健康診断を受けましたが、その2週間後に永住権取得の結果がでました。
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永住を目指す過程で一番ご苦労された点は?

IELTS受験がとても大変でした。移民申請を決めた時点ですでにワーホリビザが切れる1ヶ月前。IELTSを受けなくてはいけないことを知って、その受験日がすぐの1週間後でした。結果がその2週間後。つまり結果が出るのがワーホリビザが切れる2日前でしたので、取得しなければならない点数を取ることができなければ、即帰国という状況でした。チャンスは一回のみ、もちろんIELTSなんて言葉をその時に初めて聞いたので勉強経験はなく、1週間ひたすらライティングとリーディングの過去問を解きました。

 

弊社をご利用されて良かったと思われる点はどのようなポイントですか?

経験豊富で、見るからにやり手な(笑)コンサルタントの白石さんに担当して頂いたのが安心感につながりましたし、仕事が休めず提出書類を提出しに行けないとお話した時に、VISAJPCANADAの方が職場のカフェに書類をわざわざ取りに来て頂いた事があって、本当にありがたかったです。
あとは、必死に勉強してIELTSの結果が条件以上取得できていた時に、担当の白石さんや八木さんがハグで一緒に喜んでくれたことが本当にうれしかったです。必死だったので(笑)

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永住権を取得されましたが、今後のカナダでの目標や今後カナダ永住を目指す方に向けてのメッセージをお願いします。

ラッキーな事に主人も一緒に永住権を取得できましたので、2人でどうしていきたいかゆっくり考えていこうと思っています。

私の場合、移民申請を決めたのがビザが切れるギリギリだった上に、移民申請中ワークビザを出してもらっていたカフェが倒産、帰国、そして結婚と、かなりの難関がありましたが、「自分の運を信じます」と言い続けていました。自分を信じることが大事なのかなと思います。

お子様の留学の付き添いでカナダにいらっしゃり、ご自身のご経歴を使って自営業クラスでご家族で永住権を取得なさいました

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移民カテゴリー Self Employed
お名前 H様
永住権申請から取得までの期間 約11ヶ月
職種 Conference Interpreter
申請者のコメント カナダの永住権を目指すのに、景気の影響もあり、雇用主を探すのが大変だったり、年齢的に他のカテゴリーでは難しい方もいらっしゃるかも知れませんが、もし日本でフリーランスとしての実績があるならば、挑戦してみる価値はあると思います。

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なぜカナダの永住権取得を目指したのですか?

私は東京でフリーの会議通訳の仕事に25年以上従事していました。2011年3月11日の福島の原発事故が直接のきっかけで、日本脱出を目指すようになりました。当時自転車通学をしていた長男に、事故後の雨に濡れたせいか、鼻血や指の皮がめくれるという被ばく症状が出始めました。私も事故当初はあまり知識がなく、生協を通じて関東の野菜を食べ水道の水を飲んでいたため、首が大きく腫れ喉の痛みがありました。徐々に知識を身につけるにつれ、ペットボトル入りの水や九州の野菜を取り寄せるようになり、喉の腫れはひきましたが、犬の散歩に出ると顔の皮膚がかゆい、やたらと眠いといった被ばく症状が出ていました。

最初は仕事がたくさんあるアメリカを目指したのですが、アメリカで就業ビザをサポートしてもらえる目途がたたなかったため、行き先をカナダに変えて、最初はケベック州の自営カテゴリーで日本から永住権を申請しました。思ったより早く申請後半年程で香港のインタビューに呼ばれましたが、フランス語の会話が十分にできずに不合格となりました。ただ書類審査には合格していましたので、これだけの書類を集めれば合格できるという目途はたちました。

永住権取得までの過程で一番ご苦労された点、または一番印象に残っている点は?

翌年も申請するつもりだったので、スカイプを使って週に1回フランス在住の日本人の女性にフランス語の会話を習いました。1年足らずでDELF A2に合格しましたが、実際のカナダへの申請には、この試験の結果を使えないことが分かりガッカリしました。皆さんは試験を受ける際に、政府の求めている試験かどうか確認して下さい。

ところが翌年はいつまでたっても募集が開始されませんでした。当時日本から連邦政府の自営カテゴリーに申請するには、マニラに申請しなければならず、何年かかるか分からないので現実的選択肢ではないと言われ、私の場合は大学院を卒業してオンタリオ州のプロビンシャルノミニーを目指すのが良いと、別のビザコンサルタントにアドバイスされました。

そのつもりで大学院の試験を受けたのですが、私の大学での専攻では単位が足らないので、学部で少し単位を取り直す必要があると言われました。そうなると思った以上に時間がかかると先が見えない焦りを覚えましたが、その頃偶然得た情報で、カナダに合法的に1年住んでいれば、自営カテゴリーでもオタワに直接申請できることが分かりました。オタワでの処理時間は23か月、急に目の前が開けた感じでした。

一応2年程かかることを覚悟して、その間合法的に滞在するためにカレッジで勉強することにし、2年間の学生ビザを取得しました。カレッジには前年に日本で受けたIELTSアカデミックの結果を日本から直接送ってもらい、大学の成績証明書を提出しただけで問題なく合格できました。

合法的に住んで1年経過した頃に申請したところ、思いがけず早く処理が進み、申請から5か月も経たずに健康診断の依頼が来ました。そして7か月でCOPRが届きました。ただ今回残念だったのは、申請直前に移民法での扶養家族の定義が変更になり、21歳の長男を一緒に申請することができなかったことです。それ以前は21歳でもフルタイムの学生であれば、一緒に申請することができました。今後長男は自力で永住権を取得しなければなりません。

弊社を知っていただいた、またはご依頼を決めて頂いた経緯を教えてください。

ケベック州で申請した際にお願いした弁護士は、インタビューでどう受け答えをしたらいいか分かっているわね?と言って私に丸投げで、具体的な戦略などは立ててくれませんでした。ただ彼女の指示で集めた書類で審査は合格できました。どう対応するか戦略を立てるのが弁護士の仕事だと、オンタリオ州の大学院を卒業する案を提案してくれたビザコンサルタントに、マニラに自営カテゴリーで並行して申請してもらおうとお願いしたところ、私の通訳実績を見て、もっと文化的な仕事はしていないのかと言ってきました。通訳という仕事が文化的職業カテゴリーに入ると私は理解していたので、そのことを指摘したら連絡が途切れました。おそらくご存じなかったのでしょうね。

自営というカテゴリーでの申請者が少ないせいか、弁護士もコンサルタントも一人で完璧ではないのだなと思って途方に暮れていました。当時トロントで知り合いになった日本人の方にどこか良いところを知らないか聞いてみたところ、「ビザJPカナダ」の移民コンサルタントに大変お世話になったという女性がいることを教えてくれました。

早速連絡をしてスカイプで相談をした時に、学生ビザと永住権は矛盾するものなので、もし大学院を目指すなら、その前に永住権を申請してしまうと、学生ビザそのものが却下される可能性があるので、学生ビザを取得するまでは永住権の申請を待った方がいいとアドバイスをいただきました。それまでの二人に比べてとても経験豊富で信頼できる、是非お願いしたいと思いました。

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今後の永住者としてのカナダでの目標を教えてください。

昨年から学生ビザを所有していると、週に20時間迄仕事をしてもよいことになりました。ただ私の仕事はそういう定期的な仕事ではありません。トロントはカナダ最大の商業都市ではありますが、あまり私の仕事は需要がないことが分かってきました。時々トロントとモントリオールで働くことはありますが、カナダだけでは自立は難しそうです。やはりアメリカを目指すことになりそうですが、とりあえずもう1年カレッジに行ってビジネスの勉強を終了し、ディプロマを取得したいと思います。

永住権取得を目指している方へのメッセージをお願いします。

自営というカテゴリーの情報が少ないので、私の経験が少しでもお役に立てば幸いです。日本でもお勤めをしながら通訳を目指して勉強をしている方には、もしフリーで仕事を始めてもすぐに仕事が来ないかもしれないので、仕事がなくても3年間生活していけるだけの貯蓄をしてからフリーになることを勧めていました。永住権の申請にも同じことが言えると思います。日本で自立して自営の仕事をしていた経験が少なくとも5年あり(10年が理想)、3年間生活していけるだけの貯蓄があるならば、自営カテゴリーで永住権を取得できる確率はかなり高いと思います。その際には学生になるなどして、合法的に1年間カナダに滞在した上で、直接オタワに申請するのがいいと思います。いつになるか分からない日本からマニラへの申請はお勧めしません。

美容師でワークビザ取得後にCECで永住権を取得!

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移民カテゴリー カナディアンエクスぺリエンスクラス(CEC)
お名前 M.I様
永住権申請から取得までの期間 約7ヶ月
職種 Hair Stylist
申請者のコメント やはり申請中の間は本当に永住権が取れるのだろうかと不安は少しありました。でもワークビザ申請をお願いした時もビザJPカナダさんの迅速な対応と長い経験で何の問題もなくビザが取得できたというのもありとても信頼していたので大丈夫という安心感の方が大きかったです。とても感謝しています。

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なぜカナダの永住権取得を目指したのですか?

カナダに来る前はオーストラリアに住んでいました。ビザが切れる少し前からこれからどうしていこうかと考えていた時に日本で美容師として働く選択肢もありましたが、海外でさらに挑戦したいという意欲の方が大きく、ワークビザ、いずれ永住権を取るという事を前提に何処の国が自分のスキルを生かして永住権が取りやすいか調べた結果、カナダが可能性が高かったのでカナダを選びました。最初はワーホリで色々と新しい環境に慣れるのに苦労しましたがだんだんとカナダの良さに気づきここに住みたいと思う気持ちが強くなり本格的に永住権の道を考えるようになりました。

永住権取得へ向けて、具体的にはどのような過程や道のりがありましたか?

永住権取得にはまずワークビザをサポートしてもらえるお店を探さなくてはならなかったのですが、 私は運が良い事にバンクーバーに来てすぐに友人の紹介で今のお店で働かせてもらう事になり、 ワークビザもサポートしてもらえるという話になりました。永住権の申請を始めようという時もCECの申請基準に関して大幅に変更があり私にとって有利になったのでとんとん拍子で永住権取得までいき自分でも驚いています。

永住権申請の過程で一番ご苦労された点や印象に残っている点は?

私がカナダに来てからビザ申請に関しての規定がどんどん変更され永住権取得が難しくなってきました。今年1月に移民局が永住権申請の大幅変更を発表するというのを知った時は「この改訂で永住権申請が駄目になったらどうしよう」と内心ドキドキしていました。でも私の場合は今まで以上に早く取れるという事だったのでラッキーでした。実際に申請を開始してから半年で降りたので良かったです。
SONY DSCまた、自分自身の性格の面で、とにかく不安症なのでプロの方に頼んだ方が精神面的にも気が軽かったです。申請後からPRがとれるまでにも、本当にすぐ移民法が変ったり、急に状況が変わったするのを目の当たりにしましたが、それをしっかり把握されているお姿をFacebookなどで見ると、個人での申請は、無理だなとつくづく思っていました。

SONY DSC

次の目標や、今後カナダへ永住を目指す方に向けてのメッセージなどをお願いします

自分一人で頑張って申請をしようとしても次々と変更され最新の情報も不確かで不安を抱えて進めていくよりも、より確実に永住権取得を現実のものにするためにもカウンセリングを受けてみるのもいいと思います。永住権を目指すのはとても大変な事だと思いますが頑張ってください。

お店情報

SONY DSCAntique Hair Studio
1884 West 57th Ave. Vancouver BC V6P1T7
Tel:604-266-8866
antique.hairstudio@gmail.com
閑静な住宅街にあるアンティークショップのような小さな可愛いお店です。アットホームでリラックスできる空間に最高のおもてなしでお客様一人一人をお迎えします。是非ご来店ください。

ワーキングホリデービザが切れるギリギリから永住権申請をされたN.T様

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移民カテゴリー BC-PNP ELSS
お名前 N.T様
永住権申請から取得までの期間 約19ヶ月
職種 Bakery Laborer
申請者のコメント 移民をしようと思って、最初に受けた無料カウンセリングでは、担当してくださったカウンセラーさんが全て私の話を丁寧に聞いてくださり、不安な気持ちを和らげ、自信を持って私に必要なことを提案してくださりました。
その後、有料のコンサルティングで、移民コンサルタントさんに直接ご相談し、私にも何か可能性があるということを知り、心配性な自分には、これだけ経験や知識が豊富で一つひとつ丁寧に仕事してくださる方達ならお任せできると思いお代理申請をお願いしました。結果、お任せして良かったと思ってます。

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永住権申請に至るまでの動機や簡単な経緯と、弊社を知っていただいたきっかけを教えて下さい。

はじめの1年目は英語学校へ通い、2年目は働くというプランで何となくカナダを選び、やって来ました。
思っていた以上にバンクーバーの過ごしやすい夏や身近に自然が多いことなどが気に入り、気づけばもう少しここにいたいと思い始め自分なりに調べてたのですが道が見つからず、ビザの有効期限が近づくにつれ焦っていました。残り3ヶ月でビザが切れるという頃、友人の紹介で、ある人が私みたいな外国人にカナダでビザがもらえるようにお手伝いをしていると聞き、その人に会うべくそのオフィスに行きました。

そこでBCPNPというものを知ることになるのですが、その申請に当たり、言われた通り自分で書類を集めようとするのです、があまりにも時間がかかり、また話をしてくださった人とのやり取りにも時間がかかり、あっという間に貴重な1ヶ月がなくなってしまい、内心どうにかこの人が助けてくれるのではないかと甘く思ってた自分を後悔し、またそれに落ち込んでいる暇もない時、わらをもすがる思いで、以前友人たちが話していたビザJPカナダさんに相談してみようと思ったのがきっかけでした。
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永住を目指す過程で一番ご苦労された点は?

何より待っている時間が長いことです。移民の審査期間も長く、途中PNPの合格レターが就労ビザ申請期限のギリギリに届くなど途中不安な日々が続きました。

また、その間4ヶ月ほど働けない期間もあり、本当に落ち込む日々でしたが、今考えると人生なるようになるし、そこまで考え込まずにそのロングバケーションをもっと楽しめば良かったかなとも思います。収入がなかったため、旅行にいったり友達と会ったりする余裕がなかったのは大きいですが、普段忙しくて出来ないこととか、英語の単語覚えるとかもっと時間を有効に出来たはずだと思います。

 

代理申請をご利用されて良かったと思われる点や、依頼して良かったと思うできごとなど

丁寧かつ迅速に仕事をしてくださり信頼してお頼みできることが本当に大きかったと思います。ビザJPカナダさんには、全くの問題はなく、つねに相手からの返事を待っているという状況だったので、これが最善の最短の道だったと自信を持って言えます。

また、自分自身の性格の面で、とにかく不安症なのでプロの方に頼んだ方が精神面的にも気が軽かったです。申請後からPRがとれるまでにも、本当にすぐ移民法が変ったり、急に状況が変わったするのを目の当たりにしましたが、それをしっかり把握されているお姿をFacebookなどで見ると、個人での申請は、無理だなとつくづく思っていました。

 

今後の目標や今後カナダへ永住を目指す方に向けてのメッセージなどをお願いします。

あきらめない限り道はあると思います。ただ、それには最新の情報と経験や知識のある方にお頼みすることで可能性はさらに広がると思います。PRをとることが当面の目標でしたが今はようやくスタート地点に立てた気がします。自分の可能性も信じて高い壁にも挑戦して行きたいと思います。そこの情熱がある限り道は開いていると思います。

CEC申請直前に突然の移民ルールの改定があり、申請が出来なくなってしまった状況を乗り越え、無事にPNPで永住権取得!

永住者成功インタビューアイキャッチ画像

移民カテゴリー BC-PNP Skilled
お名前 T様
永住権申請から取得までの期間 約1年6ヶ月
職種 Food Service Supervisor
申請者のコメント ビザJPカナダの代理申請サービスは、申請書類の代行作成はもちろん、追加書類を要求された時には素早く対応して下さったり、度々疑問に思うビザや永住権に関する質問に答えて下さったり、申請に必要な書類の詳細説明やその他のケアを英語と日本語の両方でして下さったので、私もイタリア人の彼も本当に助かりました。

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コモンローパートナーの彼と一緒になぜカナダの永住権取得を目指したのですか?

私達はアメリカで出会って、当時フロリダで働いていたのですが将来を考えた時にアメリカよりもカナダの方が医療保険やリタイア後の手当などがしっかりしており、将来もし子供を授かった際にも治安や教育の環境が良いという理由で選びました。あと実際にバンクーバーに来て、人や街を見て二人とも「ここだ!」と直感的に思ったのも大きいです。同じカナダでも他の都市ではなく、バンクーバーに移住したいという気持ちが大きかったです。

 

永住権取得までの過程で一番ご苦労された点、または一番印象に残っている点は?

苦労は特にありませんでしたが、強いて言うなら待つのが苦手なので結果が出るまでひたすら待つしかなかったのが辛かったです(笑)

彼は、イタリアのワーキングホリデービザは6か月なので、そのあと学生ビザに切り替えようとしましたが却下になってしまいました。とても困ってしまい、わたしの就労ビザ申請を担当してくれたビザJPカナダの移民コンサルタントに、彼のことも相談しました。その結果、彼も配偶者用の就労ビザを取ることができました!

他に印象に残っているのは、最初はカナディアンエクスペアリンスクラスで永住権申請をしようと考えていましたが、申請する直前に私の職種が該当職種から外れてしまい、申請が出来なくなってしまった事は、とてもショックでした…でも、就労ビザをサポートしてくれた雇用先に移民の相談したら、永住権申請もサポートをしてることになり、本当に感謝しています。
 

弊社を知っていただいた、またはご依頼を決めて頂いた経緯を教えてください。

フロリダでの日本人の同僚が以前バンクーバーで留学しており、彼女に「JPカナダ」と「人材カナダ」のWebサイトを教えてもらいました。

依頼を決めたのは、無料カウンセリングやセミナーに参加した際に「経験がある大手の会社」という印象を受けたからです。悪質な詐欺やぼったくりの業者に気を付ける様周りから言われていたのですが、JPカナダさん経由で留学している友人がたくさん居たので、そのグループ会社であるビザJPカナダ(当時は人材カナダという社名でした)だと安心だと思いました。
 

今後の永住者としてのカナダでの目標を教えてください。

今後の目標はカナダの学校で勉強してキャリアアップを目指す予定です。WEBデザインやグラフィックデザインに興味があるのでその分野を勉強したいと思っています。永住権を持っていると、留学生の授業料の半額かそれ以下になるので、学校に行くのは永住権を取ってからと思っていました。学校へ行くのが今からとても楽しみです。
 
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永住権取得を目指している方へのメッセージをお願いします。

ビザに関するカウンセリングやビザセミナーなどで積極的に情報を集めて、早めに移民コンサルタントに相談をして計画するのが近道だと思います。申請カテゴリーが突然変更されて予定を変えざるを得ない事があるので…!コツコツ前向きにやれば、必ず大丈夫なので頑張って下さい(^^)
 

永住権失効からファミリークラスで永住権を再取得!

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移民カテゴリー Family Class
お名前 S.S様
永住権申請から取得までの期間 約7ヶ月
職種 結婚
申請者のコメント 私達は二度目の永住権取得ということで、手続きが難しいと思われたため、カナダにいる妻がたくさんのコンサルタントの方に相談していました。その中で、一番誠実で的確な対応をして頂き、情報を豊富に持っておられるビザJPカナダに依頼することに決めました。通常の永住権取得申請でも自力では難しいのに、私達のケースは、プロフェッショナルな方に対応して頂かないととても無理だと思います。その結果、予想以上にスムーズに永住権が取得できたので、本当に良かったと感謝の気持ちでいっぱいです。

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なぜカナダの永住権取得を目指したのですか?

私達家族(私、妻、娘2人)は2003年に一度カナダの永住権を取得して、バンクーバー近郊に住んでいました。当時は日本円建てで収入を得ていましたが、日本円が異常に安くなり、生活が難しくなったため、3年後に私だけ日本に帰国して仕事をしていました。その1年後には次女が帰国し、妻と長女がカナダに残るという生活を強いられました。その後予想以上に長く日本に住んでしまったため、カナダの永住権が失効してしまいました。しかし、カナダの住環境の素晴らしさが忘れられず、また、次女に将来の道として、日本でもカナダでも選べることのできる選択肢を与えてあげようと思い、もう一度永住権を取得したいと思うようになりました。

 

永住権取得へ向けて、どのような道のりがありましたか?

まず、以前に取得した永住権が失効していることを公に証明してもらわなければなりませんでした。そのため、5年間のうち2年間カナダに住まなければならないという必要居住期間を満たしていないことを証明するために、移民局にトラベルドキュメントを申請し、永住権の失効を公的に認めてもらいました。その後、妻が永住権を保持していたので、妻にスポンサーになってもらって、ファミリークラスのカテゴリーで私と次女の申請をすることにしました。申請してからは7か月半という、予想よりもかなり早い期間で取得することができました。

永住を目指す過程で一番ご苦労された点や印象に残っている点は?

今回はファミリークラスの申請ということで、結婚している事実を認めてもらうために、妻と知り合ってから結婚に至るまでの経緯を細かく記載しなければならなかったり、写真を経時的に揃えなければならず、結婚して20年が経過している私達にとっては忘れていることも多く、記憶を辿ることが一番苦労した点です(笑)また、次女が18歳になっており、移民局の法改正でスポンサーの子供の年齢を翌年から22歳から19歳又は18歳未満に引き下げるという情報があったため、年内に書類を全て揃えて申請しなければ間に合わず、時間との戦いで書類を揃えました。また、ランディング時に4~6週間で届くと言われていたPRカードがなかなか届かず、写真の撮り直しなどを指示され、結局PRカードが手元に届くまで5カ月間もかかりました。改めて最後まで気が抜けないと思わされました。
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今後の目標や、今後カナダへ永住を目指す方に向けての メッセージなどをお願いします。

私は日本での仕事をリタイアしてカナダに来ましたので、基本的にはカナダの生活を楽しみたいと思っていますが、まだ元気で働けそうなので、何か自分にできる仕事があれば新しい世界に挑戦してみたいという気持ちもあります。あとは、カナダでのゴルフ三昧も夢ですね(笑)スコアが良くなれば言うことなしですが、カナダの大自然の中で思いっきりプレイできるだけでも幸せです。これから永住権を目指す皆様、永住権の取得は今後どんどん難しくなると聞いていますし、移民局は日々法改正をするため、法律に関する情報を熟知している白石様のような方に相談されるのが良いと思います。良いコンサルタントに恵まれて、自分自身も最後まで諦めない気持ちがあれば、必ず道は開かれると思います。
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夢に向かて大きく前進!驚きの4ヶ月で永住権取得!

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移民カテゴリー Federal Skilled Workers
お名前 Sumino様
永住権申請から取得までの期間 約4ヶ月
職種 Cook
申請者のコメント ビザJPカナダに決めたのは、バンクーバー内の移民コンサルティング会社を廻って、お話しを聞かせていただいた後に、セミナーに参加して、そこで一番経験があるのではと実感したからです。やはり、質問の返し方や、応対の仕方で色々とわかってくるものだと思います。特に私の場合は日系ではなく、カナダ人経営の会社ですので、雇用主が色々と手慣れていない部分もありましたが、そこはコンサルタントさんから、詳しい打ち合わせがあったので、雇用主にかかる負担がより小さいまま永住権のお話しを進める事ができ、永住権申請から、奇跡的な4ヶ月という速さで永住権が取得できた事も大変よかったと思います。

 

なぜカナダの永住権取得を目指したのですか?

正直、私はカナダのバンクーバーには日帰りでしか来た事がありませんでした(笑)カナダに移り住む前には、アメリカのシアトルで暮らしていました。その中で、素晴らしい人やアメリカの教育システムや社会システムで挑戦してみたいと思うようになり、シアトルに住むアメリカの友人と起業する準備をし始めました。
しかしビザの関係上、アメリカにいる事が困難になり、シアトルに一番近いバンクーバーに移り住み、カナダで仕事をしながら、休日はシアトルに赴き、友人と起業準備を進めようと思った事が動機の一つです。その為にカナダに永住しなければいけないという事が前提でしたので、自分の夢を貫く為に、永住権取得は最初から考えていました。むしろ、それしか最初は考えていませんでした(笑)他にカナダに選んだ理由は、アメリカに在住する友人に何人かカナダから移民して来たという人がおり、その方達にお話しを伺い、アメリカと比べて、移民が比較的にしやすく、安全で色々な制度が整っている事で最終的には決めました。

 

永住権取得へ向けて、どのような道のりがありましたか?

まずは2011年にワーキングホリデーの取得でした。その後、アメリカからカナダに入国してカナダ生活を始めました。
ワーキングホリデービザは基本的に1年しか効力がないので、その1年間に勝負をかけ、就労ビザスポンサーをしていただける雇用主さんを探していました。日系のレストランで数ヶ月間就労していましたが、諸事情により勤務先を変える事になり、また一からやり直す事になりました。しかし、就労先変更後も、そのレストランで出会った仲間達とのつながりは今でも大切にさせていただいております。ありがたい限りです。その後、カナダ人系列の飲食業で働かせていただける機会をいただき、そこで一生懸命に仕事をして、半年以内に就労ビザを申請していただきました。その後、1年ほど働いた後に、スキルドワーカーとして永住権申請いたしました。その結果、驚くような速さで永住権申請から取得までを達成する事ができました。

 

永住を目指す過程で一番ご苦労された点は?

数えきれないくらいあります(笑)永住権申請についてお話しすると、当初はCECで申請準備をしていたのですが、申請半ばにて、移民局がルールを突如変更した為、私のOccupationではCECからの永住権申請ができなくなってしまいました。これにはなんじゃこれ~!と思いましたね。しかし、すぐにコンサルタントさんと相談して、私は幸いにもスキルワーカーの職種で就労していましたので、スキルドワーカーで申請する事が可能であると助言され、無事に永住権申請をしたのですが、こういったルールの変更では大きな戦略転換を求められましたね。私生活ではどんなしっかりとしたサポートがあろうとも、将来の事が100%はわからないという事と、その永住権申請までの過程の長さに心身ともに辛かったのは事実です。日本人はあまり、移民やそういったお話しを日本で耳にする事も体験する事も少ないと思いますが、やはり、自分の住んでいるOccupationが立場上一時的な形で、認識されている為に、自分自身が大きな情熱、そして自分は海外に移住するんだという決心する必要があると思います。そして、それに向かってひたすら突き進み、状況により方向転換しなければいけないとい事を学んだ点が印象深く残っています。
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弊社へご依頼を決めて頂いたポイントや、代理申請を依頼をしてよかったと思う点など

ともかく1年、または半年いう短い間で雇用主さんから信頼され、頼られる人材にならなければいけないと思い、全ての力を仕事と自分が行っているシアトルでのプロジェクトに集中しなければならないと考えていました。そのため、費用はかかっても、ちゃんとしたコンサルティングの方に永住権を任せられるのはメンタル的に非常に多きなポイントでした。ビザJPカナダさんにお願いしたのは、色々と自分で、バンクーバー内の移民コンサルティングを廻って、お話しを聞かせていただいた後に、セミナーに参加して、そこで一番経験があるのではと実感したからです。やはり、質問の返し方や、応対の仕方で色々とわかってくるものだと思います。特に私の場合は日系ではなく、カナダ人経営の会社ですので、雇用主が色々と手慣れていない部分もありましたが、そこはコンサルタントさんから、詳しい打ち合わせがあったので、雇用主にかかる負担がより小さいまま永住権のお話しを進める事ができ、永住権申請から、奇跡的な4ヶ月という速さで永住権が取得できた事も大変よかったと思います。

 

今後の目標や今後カナダへ永住を目指す方に向けてのメッセージなどをお願いします。

まずは今現在の店舗で担当している、手作りうどんに力をいれて、お世話になった方々に感謝を表したいですね。そして、うどんだけではなく、お寿司、ラーメン、コーヒーなど色々な事を学び続け、最強になりたいです(笑)。今、現在は将来のプロジェクトの為にも、毎日色々な事を学びながら、専門的な知識をつける為に、日本やアメリカ、そしてカナダで奮闘しています。そして仕事と同時進行でシアトルでの
アメリカ人との起業準備と飲食業でも新しいビジネスをカナダとアメリカで立ち上げる為の準備をしています。そして、2年半のカナダ生活で、人生のパートナーと出会う事ができ、カナダ人と婚約いたしましたので、日本とカナダの架け橋になれるような事を一緒にしていけたらなと思っています。その後は、家族と両親の永住権も申請してあげたいと思っています。いつも海外にいる私を遠くから、見守ってくれた大事な存在ですし、いつも困った時には、優しくサポートしてくれてますからね。なにか恩返しがしたいと思っています。もともと、両親は海外にも住みたいと言っていたので、それを実現してあげられたら、私としては最高に幸せです。どんな理由があるにしろ、他の国に永住するという事は簡単な事ではありません。残念ながら、永住権を申請する事を点として考え、その点だけ見てみると、簡単な永住権取得というのは残念ながらないと思います。しかし、視点を変えてみて、自分の人生全体を点で見てみると、それ以上に永住権に挑戦するという事は、人生を最高にユニークする手段でもあり、普段の10倍以上に学べる事がたくさんあり、楽しむ事ができる自分旅の出発点だと私は思います。だから、皆さんもまずは自分で色々と見て、聞いて、自分の心の声に耳を傾けてみてはどうでしょう?
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